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Beauty Source キレイの魔法

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ルイーズ1861『再会・改』

ルイーズ1861

『再会』

彼に再会したのは1861年、ちょうどシャルルがオペラ座の設計コンペに優勝した年でした。
「あまりぶしつけな手紙をよこしたから、かえって会う気になったんだ。」
なんでも、莫大な資金提供をするかわりに、たぐいまれな才能を持つ自分の趣向を生かせるよう
現場に出入させて欲しい、つまり請負業者になりたいという人物がいるらしいとのこと。

シャルルはオペラ座建設を任されたことで、下層階級からようやく中流にのし上がれると踏んで意気軒昂。
ずっと年下で15になるのを待ってようやく結婚できた私との生活をより向上させたいという
気負いもあるところへの彼の申し出は、少し気短かな夫にとって
プライドと欲望とを激しく闘わせるものだったのかもしれません。
「今晩、このアパルトマンにやってくるから。」
サンジェルマン通りにようやくかまえた我が家の第一番目の客人はどんな人かしら、
家を整えること、妻としての役割を果すことに夢中だった私の方は、そんな軽い気持ちだったんです。

やってきた客人は、黒いマントを身にまとい、シルクハットに顔半分を覆う白い仮面といういでたち。
物腰はあくまで上品で、玄関に出迎えた私に恭しく一礼して、夫への案内を乞いました。
その声を聞いて、私はようやく思い出したんです。
客人が、かつての師匠だということに。
すぐに気がつけなかったなんて、私はお馬鹿さんだったんでしょう!
あっと驚き高ぶる気持ちをようやく抑えて、彼のシルクハットを受け取り、
半ば夢み心地で夫の書斎に客人をつれてゆきました。

二人が挨拶を交わし改めて妻として紹介され、差し出された手を握りしめたあとは、
全身がかすかに震えるのを止めることができず、飲み物の用意をしながら
カップひとつ大きな音をたてて落してしまい、夫が心配してやってくるほどでした。

「・・・あなたには、快適な暮らしをしていただこうと考えているんですよ。
若い奥さまとの家庭のために、素晴らしい住み処を作ってみたいというご希望もあるでしょう?」
狭いアパルトマンの小さな書斎で話す二人の会話は、すべて耳に入ってきます。
彼の声の、あいかわらず美しいこと。
中下層の出身とはいえ、彼のおかげで音楽の手ほどきを受けることのできた私は、
いままで聴いたどの歌手や師のそれよりも芸術的な抑揚を、彼の発する響きに、
改めて確認したんです。

うっとりとその声に聴き惚れながら、交渉がうまくいって欲しいと願いました。
あの声を、どこか懐かしいあの声をずっと聴けるものなら。
夫ははじめ、彼の言葉に懐疑的でしたけれど、あることに気づいて心の垣根を取り払うことになったようです。
「彼は、エリックだ。8歳でこの設計図を描きあげた天才がいると、美術学校で老教授から聞かされたとき、
どんなにショックで、そして感動したか。
彼に出会えるなんて、彼が設計コンペに応募しなかったなんて、私はなんと幸運なんだろう。
お前も本当に幸せものだよ。」
客人と和やかに別れたあと、夫は感に堪えないように私に告げたのです。
本当にそのとおりね、シャルル。
これからは足繁く訪ねてくださることを願い、玄関にたたずんでいるとドアが再びコツコツと鳴りました。

「これをお渡しするのを忘れていました。奥さまに。」
黒い皮手袋に包まれた大きな手で、おずおずと差し出されるタータンチェック柄のチョコレートの箱。
初めてお会いしたときと同じ。
まだ、私を子ども扱いしていらっしゃるのかしら、それとも・・・。
「ジェラールさん、あの・・・。」
言葉を続けようとすると、静かに、というように、彼は人指し指を口もとへもってゆきました。
あいかわらず、なんという瞳の色。
仮面に隠された吸い込まれるようなその力に、かつても幻惑されたことが蘇ります。
いまは、何も話すなということなのですね、いいわ、今後はいつでもお会いできるのですもの。

ガス灯に浮かぶマントと仮面が、今度こそパリの街闇に消えてきました。

2005.08.30改



☆パリコミューン1871
☆シャルル・ガルニエ(チャールズ・ガルニエ) Charles GARNIER 1825-1898
1825年 パリの貧家に誕生。
     Ecole Gratuite de Dessinの夜間クラスにて1840年まで学ぶ。
1842年  Ecole des Beaux Artsに入学、ローマ大賞(the Grand Prix de Rome)受賞。
ローマ社会の壮観(pageantry of Roman society)をローマ・アカデミーで5年間学ぶ。
1852年 ギリシアとトルコを訪れ、建築に関する研究が完成。

パリに戻り、5番目と6番目の郡の建築を含むいつくかの市のポストに就くかたわら、
個人の依頼も請負う。
1861年 パリの新オペラ座のコンペを勝ち取る。

ナポレオン三世の意を汲んだデザインは、豪奢な色使いと装飾に富んだもの。
ローマで学んだ壮観さを、オペラの上演のために効果的に生かせるような、
論理的かつ臨機応変な舞台を作り上げ、新オペラ座は“ナポレオン三世スタイル”
として、世人に認知された。


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